
大船渡の山火事が落ち着いてよかった。まずは本当に良かった。
3年前にたけのこで東北食べる通信にお世話になりました。
なんども取材に、現地を知ろうと足を運んでくれたその編集長が暮らすところがまさに綾里。
今はとにかく消えてよかった。何か力になれることができれば。
上の写真は6年前、もらい火で起こったうちの裏山の火事。
今回の岩手とは規模が違いすぎるけれど、、、恐ろしかった思い出。
聞くのと体験するのとでは大違いで、息を切らしバケツ持って堀の水を汲み上げて消そうとする私らを、
風もあったからだけど、
嘲笑うかのようにあっという間に追い越していく火の勢いの恐ろしさは今思い出してもゾッとする。
晩飯の時、そんな話に家族でなった。
テレビ画面では震災当時の各地の映像が流れている。
大変な思い、大変な被害にあった人たちの声。
一方でこれからへの備え、防災への声。
本当にリアルに自分が、眼の前で、という心と、
そこから離れて頭でモノを語る、
そこには大きな隔たりがあるなぁ、とやはり冷ややかに感じてしまう自分がいる。
すべてが破綻してしまう生と死を分かつような現実の前ではどう在れるのか、
やっぱりそこを一番考える。
私だって、多少壊れたくらいでなんてこと無かった方の人。
それでも、
関わりの中に当事者が出来たことで素直に寄り添える気持ちになる。
14年。
忘れてはいけない葛藤をしっかり再確認する日でもあり、
やはりそこから生まれた想いやご縁を育てようと思う日。
実体験した人や場所を胸に刻む日にしたい。
6年前の山火事の日。
なんとか自分たちの家や山を守りたいと一心不乱に火を消そうともがく私ら。
それを安全面からも「山から降りるように!」と叫ぶ警察や消防隊員。
今晩の親父の話で、そこには同時刻、
「こんな時にはやっぱり当事者の家は炊き出しするべきなのではないだろうか?」
という意見を、この集落から出していた人が居たと聞いて、、、、驚いた。
きっとどれも間違ってはいないんだろう・・・・。
それが人の世だと思う。
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